2011年3月アーカイブ

凄みと底力

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ほんの一週間前の、平和で穏やかな日常が今や既に何処にも存在しない。

この非日常な危機的状況を、想像出来ていた人物が果たしているのであ

ろうか?


いるわけがない。


いるとしたら虚言癖のあるイタイ自己顕示欲旺盛なバカか、似非(エセ)

宗教家くらいのものだろう。


この状況を改善できるのは、打開できるのは、脱却出来るのは、

政治家でもマスコミでも宗教でもプロ野球でもない。

一人一人が、それぞれの目の前にある責任を果たし、誰かのためになる

ように予想し、考え、継続し、そのことを自覚していく事だけが唯一の

前進に繋がるのだ。

つまり「大人」になるということだ。買いだめなどしている場合ではない。


見える行為、目立つ行為だけが素晴らしい事でないのはみんなが知って

いるし、そのことのみに目先を奪われるのもレベルの低い話である。


誰も見ていないところで、誰も報道なんてしないところで、多くの人達

や企業が、まさに不眠不休に近い状態で、被災者だけでなく、全ての

国民生活が停滞しないように働いているのである。


飲料メーカーは飲料を、食品メーカーは食品を、薬品メーカーは薬品を、

アパレルメーカーは暖かい衣料を、エネルギー企業は電力やガスを、

建材メーカーは住宅建材を、物流企業はスピードを以て届け、みんなの

日常生活が困らないよう、その責任を果たすことのみに奔走し続けている。

こういった企業の多くは、支社や支店、子会社が被災地に存在し、自分達の

社員や仲間の家族なども被災していたりする。それを短時間でカバーし、

稼働させるのは簡単な話ではない。非常に辛くつかれる作業なワケだ。


経済社会の「凄み」や「底力」はこういったところに在る。

だから、落ち込む必要は無いし、自信を持つべきではないかと思う。

只漫然と意味なく、あの本数の減った満員電車に揺られているわけではない。

国からのお達しが在ろうが無かろうが、彼等はその責任を果たす。

だからこんな劣悪な状況になっても会社へ働きに出るのだ。

まだまだ捨てたものではない。


自衛隊や、消防庁、警察、機動隊、自治体職員、病院職員・医師、介護士、

そして当の電力会社社員など、まさに命がけである。

確実に被曝すると解っていながら、そう簡単に立ち向かえるものではない。

頭が下がる想いだ。

だからこそ、千年に一度といわれている震災の、最悪の状況を回避して

欲しいと切に願う。


こういった時に株で儲けようとしているヤツら、ヒトの善意を逆手に取って

ネット上でフィッシング詐欺をするヤツら、不安を煽りヘンな教義に勧誘

するヤツら、文句だけ言って評論しかしないヤツら。

ハッキリ言おう!そういう連中にはサッサと此処から退場して頂きたい。

その存在がふさわしくないのだ、「今」に。

あっ、それとナベツネ、お前もな。


下北沢にて

東北地方太平洋沖地震について

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三陸沖を震源とする東北地方太平洋沖地震により、

亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます

とともに、被災された皆様、そのご家族の方々に

対しまして、心よりお見舞い申し上げます。

一日も早い復旧復興されますことをお祈り申し上

げます。


4-D

M 9.0

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つい先程、気象庁からM 8.8からM 9.0へ訂正の発表があった。

とんでもない数値であるようだ。

甚大な被害の情報を見聞きしていると、声も出ない。想像を遙かに

超える未曾有の危機に陥っている。

地震が起こってからそろそろ48時間が経とうとしている現在でさえ、

被害者の全体像が未だ見えていない状況だ。東北の太平洋側沿岸部を

中心に、北海道や青森の沿岸部まで、壊滅的な被害になってしまって

いる。

 

原発や石油コンビナート、家屋の火事など二次災害も平行して広がっ

ている。それと同時に、中国やドイツ・スイスそしてアメリカなどか

ら救援の援助隊が到着している。


これは国家的危機なのだ。

国家的クライシスというのは、何も戦争だけではない。

自然災害もそれに当たる。メンツや建前より、まずは人命を救助し、

一人でも多くの安否を確保しなければならない。そのためにそれぞれ

が出来ることはなにか?ということを冷静に考えて行動に移すべきだ

と考える。


まずは節電。電気の使用量をしっかりコントロールし、被災地に電気

が行き渡るようムダな施設の照明やエネルギーの浪費は控えなければ

ならない。これから一週間は、商業施設のライトアップ、お遊びのイ

ベントや芸能に関する使用は、徹底して中止すべきである。

病院や医療施設・介護施設等に潤沢に使えるよう配慮する必要がある

からだ。そうしないと助かる命も助からなくなる。遊びではないのだ。


それと、大規模な余震が起こる可能性も否定できない。

高いところにあるモノは全て床の低い位置に降ろし、就寝中に強い揺

れが起こっても頭を守れるようにしておくべきだ。特に一人暮らしの

多い東京では、自己防衛するしか誰も守ってくれない。冷静に自らの

安全を図る必要がある。誰しもが安全であるというわけではない。

枕元には常に貴重品袋を携えておき、何があっても直ぐに動き出せる

よう対応しておくことが必須である。


そして弱者にはしっかりと手を差し伸べるのが、ヒトがヒトである所

以だということを臆面もなく態度と行動に表すべきである。

何も恥ずかしいことではない。

特に男は言われなくてもそうしなければならない。それは義務だと考

えるべきだ。回りの環境と情報をしっかり取って分析し判断すべきで

ある。


激甚な被害を被った被災地にボランティアに向かいたいという方も多

いだろう。そして、身内がそこに残されて心配している方も多いと思

われる、がしかし、今は行くべきでない。軍隊やレスキュー、医療の

プロに任せるべきだ。

なぜなら現状はまだまだ危険であり、現地に移動すること自体が、航

空機や船舶を使わない限り、ライフラインを塞ぎ、救援の邪魔でしか

ない。

一般人のボランティアが、もし現地に行けたとしても、そこでできる

ことなど何も無いのだ。救援用の食料が無意味に消費されるだけで、

このようなどさくさに紛れて現地に赴く輩は、朽ち果てた自販機を荒

らすような盗人みたいなヤツらだ。


音楽やアートに今できることは何もない。徹底して無力である。

しかし、必要とされる時期が暫く先の事であるというだけで悲観する

必要は無い。


下北沢にて

メルトダウン

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冷蔵庫がスッカラカンになっていたので、近くのスーパーに買いだしに

出た。まずはクリーニングを出すついでに駅北口のピーコックへ行って

見るとパンや野菜、惣菜などの類が殆ど売り切れていた。

野菜不足は困るので本意ではないが、プロパー価格でサラダのキットを

2食分購入。

そして南口のスーパーオオゼキにて食料品と保存食を買った。

どちらの量販店もお客さんで溢れかえっていた。

流石に昨日の強烈な揺れで、食料品や医薬品、日用品のまとめ買いを

どの方もしているように見える。買い物かごは溢れんばかり、レジには

長蛇の列。無理もない話である。


経験から助言すると、次の大きな余震が来た場合、今は使えている生活

ライフライン(電気・水道・ガス)が物理的に断たれる可能性がある。

そうなった場合、重要なのは水の確保及び火と水での調理が必要ない保

存食品が貴重な存在となる。


一度生活ライフラインが断たれると、短くて2日、長くて10日は使用で

きないと考えて、その間困らないように飲料水の確保と常温で保存でき

る食品を買っておくべきである。

食品については、少量でもカロリーが高いクッキーやチョコレートなど

が理想的で、生ものや生鮮食品、冷凍食品、チルド食品は、生活ライフ

ラインが断たれる前に処理すべき。電気が使えないとどうしようもない

からね。腐っちゃうし。


福島第一原発でどうやらメルトダウンが始まってしまった気配がある。

空気中にセシウムが観測されたらしい。

自然の中には存在しないセシウムは、人類が造りだした最悪の超度級猛毒

であることはあまり知られていないようであるが、これが放射線として外

部へ漏れると、規模にも因るがそこから半径数十キロは生物が生活するこ

とは出来ない。もちろん人間もだ。

核燃料棒の冷却が成されず炉心溶融を起こすという原発事故としては最悪

のシナリオだ。

嘗てアメリカの「スリーマイル島事故」、旧ソ連時代の「チェルノブイリ」

がそうであったようにだ。

放射能事故はウイルスと違って一旦広がってしまうと収拾がつかない。

セシウム137の半減期は30年。

セシウム135の半減期は2300年。

半減したからと言って、ヒトが生活できるわけもない。いや、それ以上に

2300年後もヒトが存在しているとは思えない。

被害が極力少なく、犠牲者が出ない事を祈るしかない。


下北沢にて


大地震

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仕事中だったので冷静に対処したが、かなり大きな揺れであった。

仕事場の片づけをしてから、つい先程目黒から渋谷を経由し、

下北沢へ1時間半かけ歩いて帰ってきた。

これを書いている間も自宅のマンションはゆぅ〜らゆぅ〜ら揺れて

いる。

直下型の阪神大震災を、ど真ん中で直撃された身にとって、東京での

「震度5弱」はさほど驚くに値するもではなかったが、震源地に近

い、東北や北海道方面では甚大な被害が発生したようである。

帰宅難民になってしまう方も今日は多いのだろうと思われる。


短い人生の中で神戸と東京で2度も大きな地震に遭遇するなどとは、

夢にすら思わなかったが、それが実際に起こってしまうと、16年

前の阪神大震災時の記憶が鮮明に蘇ってくる。


高層ビルの高いフロアにいた人達は大きな揺れを感じて気分が悪く

なったヒトもいるだろう。

こういうときほど日本人が日本人らしくあるために「助け合い」が

必要なのだろうと思う。


被害が少しでも少なくあってほしいと祈る。


下北沢にて

Paradigm Shift

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アフリカから始まったパラダイムシフトは中東に火を点けただけでは

収まらず、どうやら中国や北朝鮮などにもその火の粉が飛び始めている。


それぞれの地域の国民や民衆が、その時まで当然と、漠然と、自らに

問うこともなかった認識や思想、社会の価値観などを疑いはじめ、劇的

な情報の流動性に因って為政者が慌てふためき、挙げ句の果てに虐殺を

企て、それを強行することに因って更に圧政に拍車がかかり、これまで

拵えてきた自らの立場とレーゾンデートルを他の地域から否定されるに

留まらず、血まみれの掌を見るように、自らが築いてきた砂の楼閣を、

既に自らの矛盾によって否定している、という、負の連鎖。


何が面白いかといえば、独裁者の問題ではなく、もちろん歴史の問題で

もない。

情報のスピードの問題。

まさにユングのSynchronicity(シンクロニシティ)

生き物として進化するときに顕れる「共時性」なのか?


いやシンクロニシティと呼ぶにはあまりに「因果性」が強いのも

また真実。

そして立ち上がって異を唱えるのはヒトとしての誇り(プライド)である。


ふと、政治家が一人もいなくても、企業と官僚と国民だけで成り立って

しまうこの国には、誇り(プライド)は残されているのであろうか?


セックスを売り物にする芸能などと違って、そこには大人から子供まで

まさに圧倒的で硬質なリアルが存在する。

育成ゲームでアイドルを飼ってる場合ではないヒト達が、数十億人存在

している、という事実。


リアルに世界を感じ取れるリアル。

リアルに較べればバーチャルなんてゴミだと言い切れる。

ひとつ間違えたり、僥倖に見放されたら、確実に「死」ぬ。


地震や噴火に想いをはせれば、地球というこの惑星が生き物であると

認識するに疑う余地もなく、変革期における同時多発的、或いは感染症

的様相を託してきているパラダイムシフトは、しっかり見届けるだけの、

充分に価値のある「今」ではないか。


下北沢にて