Paradigm Shift

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アフリカから始まったパラダイムシフトは中東に火を点けただけでは

収まらず、どうやら中国や北朝鮮などにもその火の粉が飛び始めている。


それぞれの地域の国民や民衆が、その時まで当然と、漠然と、自らに

問うこともなかった認識や思想、社会の価値観などを疑いはじめ、劇的

な情報の流動性に因って為政者が慌てふためき、挙げ句の果てに虐殺を

企て、それを強行することに因って更に圧政に拍車がかかり、これまで

拵えてきた自らの立場とレーゾンデートルを他の地域から否定されるに

留まらず、血まみれの掌を見るように、自らが築いてきた砂の楼閣を、

既に自らの矛盾によって否定している、という、負の連鎖。


何が面白いかといえば、独裁者の問題ではなく、もちろん歴史の問題で

もない。

情報のスピードの問題。

まさにユングのSynchronicity(シンクロニシティ)

生き物として進化するときに顕れる「共時性」なのか?


いやシンクロニシティと呼ぶにはあまりに「因果性」が強いのも

また真実。

そして立ち上がって異を唱えるのはヒトとしての誇り(プライド)である。


ふと、政治家が一人もいなくても、企業と官僚と国民だけで成り立って

しまうこの国には、誇り(プライド)は残されているのであろうか?


セックスを売り物にする芸能などと違って、そこには大人から子供まで

まさに圧倒的で硬質なリアルが存在する。

育成ゲームでアイドルを飼ってる場合ではないヒト達が、数十億人存在

している、という事実。


リアルに世界を感じ取れるリアル。

リアルに較べればバーチャルなんてゴミだと言い切れる。

ひとつ間違えたり、僥倖に見放されたら、確実に「死」ぬ。


地震や噴火に想いをはせれば、地球というこの惑星が生き物であると

認識するに疑う余地もなく、変革期における同時多発的、或いは感染症

的様相を託してきているパラダイムシフトは、しっかり見届けるだけの、

充分に価値のある「今」ではないか。


下北沢にて

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このページは、press_4dmode1が2011年3月 2日 22:41に書いたブログ記事です。

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