2010年5月アーカイブ
2/22に渋谷のUPLINK FACTORYで行った4-D Elementsが、
更にバージョンアップして7月5日(月)に開催することとなった。
横川理彦・成田忍・岩下達朗に加え、今回はコバヤシタケルが
参加する。
実験的な音と映像の関わりを、今回はこの4氏はどのように料理し、
提案してくれるのか、全く以て楽しみである。おそらく来場される
オーディエンスの予想を上回るのは間違いない。
既に、3月の時点で今回の4-D Elementsの構想は立ち上がり、
練られているのである。我々としても遊んでいたワケではないのだ。
更に、この日には4-D mode1の大事なお知らせもされる予定。
期待しててもらいたい。
下北沢にて
丑三つ時、小西氏から無事ドイツより帰国したとの
知らせがメールで入っていた。その文面に、
「冬の滞在中にモモちゃんと仕上げたUnter Nullの
馬騎尚寺リミックスを収録したアルバムが、ベル
ギーのレーベルAlfa Matrixから発売になっています」
http://www.alfa-matrix.com/shop_comments.php?id=1872_0_8_0_C
と入っていた。
↑上のアドレスから入って頂ければ確認できるので、
小西ファンは是非、訪ねて欲しい。
昨晩、深夜、霧雨の中、突然前触れもなく巨木が倒れた。
朝、仕事に出かける前に撮った写真がそれだ。ケータイで
撮った写真には写ってないが、朝の7時半だというのに、
若い警官と市の職員らしき方がテープを貼って通せんぼしていた。
自転車と見比べれば判るが大の大人で二抱えはあろうかという
大木だ。我が家のマンションから40m程の距離で、…まさかね。
驚いた。
しかし、これに呼応したかのようにエンターテイメントの巨木も
他界された。
いや、ロニー・ジェイムス・ディオじゃないよ。
もちろん、スリップノットのベーシストでもない。
「こんばんは、ラッシャー木村です。」
この、あまりに有名な台詞を世に放った人物。
プロレスラー「ラッシャー木村」が逝去された。
断っておくが、私はプロレスが好きなわけでもなく、幼少の頃、
アニメのタイガーマスクに感化されてアクロバティックな
ルチャ・リブレに少しだけ興味を惹かれた程度だ。
たまたま、理由もなくTVのチャンネルを回していたら、偶然、
この映像場面に出くわした。リアルタイムではなく、何の番組の
記録映像だったかも覚えてないが、この台詞の前後を見てみると、
ラッシャー木村という人物の、朴訥とした、飾り気もなく、
生真面目で少し照れてしまうような、気の良い「おじさん」
が何故か好きになってしまった。
この台詞は多くのお笑い芸人達やタレントによって、星の数ほどの
亜流パターンを、素人レベルにまで流布した。これだけでも普通に
考えてみると凄いことなのである。
クドクド書いても伝わらないので、説明しないが、この台詞の面白さ
・価値を知らない10代20代は、人生の15%は損をしていると思う。
お笑い芸人では本質的に出来ない、素晴らしいキラーワード。
それこそ一言である。
この週末は、
「こんばんは、ラッシャー木村です。」
幸せの呪文かもしれない、この、あまりに有名な台詞を世に放った
人物を偲びつつ、グラスを傾けながら冥福を祈りたいと思う。
下北沢にて
i-Padに代表される書籍を読むことを意識したネット端末が話題に
なっている。
古い作家だか、文学者だかがこのことを憂いて、所謂書物の活字文化
が衰退していくのではないか?つまり、書き手はアマチュアに近付き、
読み手は冒険心を失っていく…とどのつまり、書物を所蔵し、読み、
知識へ返還させる作業を人はしなくなるのではないか?
もっとはっきり言えば印刷物としてのホンが売れなくなれば、おまんま
の食い上げだ!って憂いているわけである。
”なにをかをいわんや”である。
既に20年も前にデザインやグラフィック、写真など、デジタル化の波の
中で自己が変化することを強いられ、表現の手法すら変容して広く市井に
下りていった。音楽や映像、アートでさえ既にデジタル化することによっ
て広く、また、自由に、多くの人に受け入れられている。
これらは、特に選定された特殊技能・特化才能を持った、僅かな個人の
モノではないということを如実に知らしめしている。
このことから振り返ると、書籍の電子化というのは”最後の砦”ではなく、
一番進化が遅れている分野にしか過ぎない。前にも書いたが書籍が雑誌を
中心に売れなくなってきているのは必然であり、その一番大きな原因は
情報の伝達速度が遅すぎるということに他ならない。
確かに紙の手触りや質感、匂いなど、捨てがたい本独特の特質があるに
せよ、単に情報としての機能しか果たせないのであれば、逆に圧倒的な
情報洋の中に埋没してしまう方が無駄な資源を使わなくて済む。
情報として屹立させ、エッジを起てたいのであれば、そのクオリティが
否応なく問われ、晒される世界に既にあるということだ。
いずれにせよ、買うか買わないか、読むか読まないかは、エンドユーザー
が選択するのであって、既得権益を貪るだけの老人には空恐ろしい世界に
なってしまったのだろうと思う。
かく言う私も年間30冊ほど本を読んでいる。紙の本が良いのなら、それを
選ぶ人間もいるということだ。
要はクオリティなんだと思うが…どうだろう?
下北沢にて
4-Dを影で支えてくれているスタッフのITちゃんが、所用で京都から
遊びに来た。彼女は音楽がメシよりも大好き!というタイプで、
いつの間にか4−Dにはなくてはならない存在となっている。
これはひとえにその人柄と純粋に音楽を愛するキャラクターが人望を
集めているのだと思う。4−Dだけではなく、その他多くのミュージシャン
達の懐にサラッと入っていけるのは、並ではない。
で、一緒に晩ご飯をということになり、スタイリストのNT女史、ライターの
小暮氏も誘って下北の「ふるさと」という小料理屋さんで晩餐を始めた。
ITちゃんが最近ブログを始めたきっかけとなり、後押しをしたのは他でもない
小暮氏であり、小暮氏もTwitterをはじめていることもあり、その話題で
盛り上がった。NT女史もi-Phoneを持っているので小暮氏にご教授を請い、
使い方などをレクチャーしてもらったり、ITちゃんが暫く滞在した久米島
での話や島での生活時間のながれなど、時間に追われて生活している自分に
とって興味深い内容だった。さしずめ、4−Dのスタッフ会と呼んでも差し
支えないだろう。そういえば、いままでスタッフだけで集まって呑んだこと
はなかったなぁ。
食事を終えた後、私の作品を展示して頂いているBar Secondo TABACCHI
に移動。そこで一杯引っかけ、そしてさらに一番街にある螺旋階段のRock Bar、
SWAMP family MONSTERで締めという下北縦断コース。
楽しい呑み会だったが、4−Dは良い仲間に恵まれたなぁ。と、しみじみ想い
いる夜だった。
下北沢にて
和田竜(wada ryo)の新作「小太郎の左腕」を読んだ。
「小太郎の左腕」は、「のぼうの城」「忍びの国」に続く、
彼の第3作目にあたり、全二作も非常に楽しめたが、更にストーリー
テラーとしての才に磨きがかかり、抜群に面白い作品に仕上がった。
タイトル通り「小太郎」を中心に話が進んでいくのであるが、主人公は
林半右衛門秋幸(はやし はんえもん あきゆき)という無双の武士であり、
半右衛門の生き様を描ききることによって1550年代の日本人的価値観
(主に武士の価値観であるが)、打算が入る隙のない生き様というものを
爽快に描いている。
これは当然想像の賜であるが、入念な時代文献や当時の世俗を研究した
上に構築された物語なので非常に面白い。前2作もそうであったが、
読んでいて映像や人物像が鮮明に浮かび上がってくる。
和田竜という作家の、時代考証を挟みつつ軽快な語り口で物語に厚みを
付けていく独特の文章法の成せる業であるように思える。
デビュー作の「のぼうの城」が映画化されるという話を聞いたが、その
際一番大事な要素はキャスティングと言い切って良い。
主人公である成田長親(なりたながちか)は、大人計画の俳優、荒川 良々
しかいない。彼をキャスティングしなかった時点で映画は失敗に終わる。
といっても過言ではないほど、読んでいてイメージ出来る。ジャニーズ系
だったら、「隠し砦の三悪人」(黒澤の嘗ての名作を松潤でやった失敗作)
みたいになってしまう。大人気の嵐の大野でもほぼ嵌らない。
GWに読む本がなければ是非お薦めしたい作家である。
下北沢にて