2010年6月アーカイブ

赤いシャツ

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夏だから暑いのか。

暑いから夏なのか。

そんなことはどうでもいい。

「暑い」ということが私にとっては問題だ。

やたらと汗をかき、クーラーで冷やすことで腰を痛める原因になり、

同様に肩のコリも辛くなる。電気代やシャワーの回数が増えることに

よって水道代などの光熱費も跳ね上がる。


夏には良い思い出が全くといって無い。

忘れたくなるようなイヤなことが多くて生物学上の防衛本能によって

記憶が消去されたわけではない。

単に暑くて呆けている時間が多いだけだ。つまり、覚えようとする

努力を怠っているに過ぎない。夏に出会った人の顔や名前はおろか、

何処で何のためにあったのかも定かではない。

このまま温暖化が進むと個人的には非常に困るのである。


昨日近所の古着屋で長年探し求めていた「赤いシャツ」を発見した。

そのブランドの商品が売られていることを知って探し続けていたワケ

ではなく、単純に頭の中に「こんな赤い色の、こんなシルエットの、

こんな襟振りの長袖シャツ」というイメージというか妄想みたいな

モノがあり、それにほぼ完全な形で合致する「赤いシャツ」だった

から「発見」なのである。買い求めたものはあるブランドメーカーの

シンプルなシャツで、袖や袖口の縫製が流石に日本製だけあって素晴

らしい出来。


特筆すべきはその「赤い色」である。


赤の無地だったら何でも良いワケではない。

「赤いシャツ」ならユニクロやZARAなんかにあるんじゃないの?と、

見る向きもあるようだが、意外にというか当然というか、シンプルな

「赤いシャツ」などそうそう売りになんか出されない。というか、

企画化・製品化がされない。

ましてや発色の美しい「赤」(細かくいえばまさに緋色)はまず以て無い。

と断言する。


しかしこの「赤いシャツ」は非常にデリケートな染色加工が施されていて、

・中性洗剤で手洗い(DRY不可)

・長時間の水濡れは御法度

・色写りがあるため他の衣類とは分けて洗濯

・脱水は短時間

・陰干しすること


以上のように制約が厳しい。

とほほなワケだ。

さして高価なモノではないが、どのようになっても着倒してやる。

面倒だけどね。これは良い夏の思い出になりそうだ。


下北沢にて

ワールドカップ

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本日は不定期の平日休み。

有給というモノがあって、それを消化しないと人事部から文句がでる。

休まないと文句言われるんであれば、休んでやろう。

でも、仕事は待ってくれないのでデザイナーさん達から上がってくる

デザインのチェックを自宅のMacでしていたりする。


かと思えば、スタッフのITちゃんからメールが入って、4-Dのオッちゃん等

のんびりし過ぎと、叱咤激励のメールに、

「ハイ、作用で御座いますね。そのことは重々承知致しております。

言い訳のタネは尽きました。ちと巻き入れますか。それともヤキ入れますか」

などと、ふざけた返信をしようとしていたら、神戸の友人から電話が入る。


「今度久しぶりにイベントをやるんで来ない?」

「えっ何時演るの?」

「7月3日」

「うわ〜、ちょっと戻れんなー」

その、友人のご子息が大学を無断で辞めたそうで、タバコをベランダで

吸いながら、まるで昔の自分のことのように感じた。


サッカーのルールは簡単である。道具も野球のように多様なモノは一切無い。

蹴り上げるボール1個あれば何処でだって出来てしまう。だから、貧困層から

這い上がって巨万の富を得る唯一のスポーツだ。


今行われているワールドカップは、国家・地域に分かれてチームが編成される。

つまり、プロスポーツの中では、寄せ集めのチームとなり、クラブチームほどの

洗練のされ方が出来ないのは必然となる。日本代表より鹿島アントラーズの

ほうが確実に強い。


しかし、国家を背負って戦うというのは、古来より現在においてもその価値観は

変わらず、男としては純粋に、単純にナショナリズムの湯船にどっぷりと首まで

浸かることが出来る。


世界中の人類の、現状に対する欲求不満を一身に受け、監督や選手達はその

フラストレーションの塊とともに相手国と戦う。

それをピッチに立つ選手達は光栄と受け止め、課せられた責任を全うしようと

する。


自分のルーツや帰巣本能といった生物としての本能や、属性を求める根元的な

欲求がある限り、代理戦争とまで呼ばれるこのスポーツの祭典は、その価値を

失うことは決してないだろう。


折しも私の睡眠不足はこれに拠るところが大きい。

流石に体力が持たないので観るのは少し控えなければならない。


下北沢にて

完全なるソロ

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昨日は、高円寺HIGHまで、中野テルヲ氏のソロライブに

お邪魔してきた。天気が心配だったがそれは杞憂に終わり、

早く到着した私は、小暮氏と喫茶店で待ち合わせ。


HIGHのエントランス前でN氏に声を掛けられた。

ということで、いつもお世話になっている小暮氏とN氏の

2ショットで立て看板を撮影。


ライブは徹頭徹尾センサー魔神・中野ワールド。

楽曲と映像のシンクロが極めて気持ちいい。

8年ぶりのソロライブということでオーディエンスの期待を

しっかりと捉え、特に煽られたワケでもないのに、またそれに

オーディエンスも応える、

この辺りに中野氏の人柄が伺える。


ライブ後の打ち上げでは、メカノの中野店長、成田氏、折茂嬢、

中井氏とワイワイやっている傍らで、当の主役である中野テルヲ氏は

というと、黙々と自分の機材をお一人で片づけている。

中井氏曰く、

「あの機材、組むのもバラすのも中野さんしか判らへんのですわ」

ということで他人が手伝えない?有様(笑)。

この辺りにも中野氏の人柄が伺える。


で、当の中野テルヲ氏曰く、

「バラすだけで8時間かかったんですよ。引っ越しと一緒ですね」

と、平然と言ってのけた。

で、やっぱりこの辺りにも中野氏の人柄が伺える。

この自然な人柄が、口数の少ない氏の、人を惹きつける所以であると

つくづく感じ入った。

本当に楽しい夜であった。


下北沢にて


オランダ戦

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つい先程、上がってきたフライヤーを小暮氏に駅近くで手渡し、

帰宅してワールドカップを見ているわけだが、いつものように

音声は消音して見ている。


出来ればちゃんと音を出して見ていたいのであるが、大福みたいな

顔のサッカー評論家「松木」の下衆な声が私の耳に全く馴染まず、

というより受け付けない、ので、消音モードで見ているのだ。

NHKだったらもっと抑制の効いた放送を心がけるのであろうが、

残念なことに質の低い民放だ。タダで見ているのだから我慢しな

ければならない。


スポーツはサッカーに限らず、全ての競技において残酷だ。

つまり、頂点は一つしかない。勝者は一人(1チーム)だけなのだ。

それ以外は全てが敗残者である。


だから、分かり易い。

分かり易いということは、絶対的な普遍性を持ちあわせ、だから

こそ美しく崇高な存在としてリスペクトされるべき存在となる。

敗者の美談でさえも勝者がいなければ成り立たない。判官贔屓の

好きな日本人なら尚更だ。


彼等(代表Aチーム)が日本へ帰って来る数週間後、出来れば下らない

バラエティ番組や芸能人扱いする番組になど出て欲しくない。

メジャーリーガーのイチローを見習ってもらいたいと切に思う。


下北沢にて