2010年2月アーカイブ
講義もいよいよ中盤を過ぎての3限目は、まずマイク2本が客席にまわされます。
そのマイクに向かって各人が自由につぶやいてもらったものを取り込んでいく
というもので、言うなればツイッター・テクノ(笑)。
横川さんは「何を入れようがどうせテクノになっちゃうんで」なんて身も蓋も
ないことを言って笑いをとってましたが、ま、それだけ気軽につぶやいてくれ
ということですね。その甲斐あって、ユニークなつぶやきをたくさん採集する
ことができました。
客席を撮影&加工した映像やエクスペリメンタルな反復電子音との相性もバッチリ!
で、本当はここで終了するはずだったんですが、なんかもう1曲やろうか、
みたいな感じで予定外の補講が急きょ決定。アイス・エレクトロニカといった感じ
の曲を演奏して授業は終了したのでした。さて、この日の模様はニュー・アルバム
にどう反映されるのでしょうか。それはお三方のみぞ知る、ということでお楽しみに。
終了後、「またやりたいねえ」なんて話も飛び出したので、もしかしたらさらに
補講があるかもしれませんよ。
最初の試みは、題して「クラスター」。
個々のオーディエンスが頭の中で想像した声を出してもらうことが
横川講師より提案されました。ただし、声を出している時に他の人
の出した声にあわせないのがルール。つまり、ハモらないバラバラ
の声のかたまり(クラスター)を形成してもらい、それを音素材と
して取り込んでいくというものでした。
声のクラスターとアンビエントロニカな電子音響工作とアブストラ
クトな映像のセッションですね。
現代音楽やエレクトロニカ畑の人たちがやるとシリアス一辺倒にな
ってしまいがちなところを最後はユーモラスにしめた点もナイス。
いい感じに客席の緊張もほどけてきたところで、講義2限目(2曲目)
は横川氏いわく「早い話がジョン・ケージ」。1分の間に好きなタイ
ミングで各自が1回だけ好きな音を出す、というものでした。
ストップウォッチを持った横川氏の合図のもとに、声、物音、携帯
電話の撮影音など、客席から発せられたさまざまな音を録音。それら
の音が複雑にコラージュされて変容していき、インダストリアル・
ブレイクビーツなエレクトロニカ・サウンドを形成していく展開は
あたかも電子音楽の歴史(ミュージック・コンクレートからエレクト
ロニカまで)を猛スピードで見ているかのようで、スリリングきわま
りないものでした。
一昨日の『4-D Elements Recording Process−』に 多数のご来場いただき、ありがとうございました。 さながら横川理彦講師による『楽しい現代音楽講座、 その傾向と対策と実践』といった感じの内容で、 以前の公開レコーディングとはまた違った面白さを 楽しんでいただけたのではないかと思います。 当日は、まず横川講師が今回の企画趣旨を簡単に 説明した後、いよいよ実験がスタート。
私事であるが、本日はかなり重要な仕事の会議があり、
私の提案に沿って進むことに方向性が決まった。
関西出張から戻ってきて以来、今日の会議のための30ページに
渡る資料を作るのに丸1週間を費やした。
それなりの結果を見いだしたので自宅で食事しながら呆けていると
成田氏から音源が届いていた。
「-17℃」である。
早速ダウンロードして聴いてみると、うひょ〜〜、むちゃ格好いい、
というわけでさっきから12~13回は繰り返し大音量でローテーション
している次第である。とかなんとか書いてるうちに、またアタマから
聴いている。
まぁ、皆さん期待してください。
といワケで、今日は週末の金曜日。
「-17℃」を聴きながら、大人の一杯を嗜んでくるとしますか。
下北沢にて
今年の東京は珍しく雪が舞う。
今朝目が覚めてカーテンを開けると、ほんのり雪化粧の街。
子供の頃から、雪が降ると何故かワクワクしたものだが、
大人になってもそれは変わらない。
雪国で生まれ育った人には何の感動もないと思うが、滅多に
雪など降ることのない関西生まれの私としては、雷・颱風・雪
とくれば無条件に心が躍るのである。
ただ、東京での雪というのは、やはり困りもので、交通機関が
簡単に麻痺してしまうことを考慮し、いつもより15~20分は
早く出かけないと仕事の時間に間に合わなくなる。
年々寒さが堪える身になってきているのだが、やはり熱いだけ
が取り柄の夏より、美しく街を覆う雪が降る冬のほうが情緒が
あって良い。肩こりは酷くなるけどね。
ところで、本日は胃ガン検査とかでレントゲン車に乗った。
福利厚生の一貫だが、昨年の大腸ガン検査で、早期発見して
難を逃れた人もいるのだからバカには出来ない。
健康というのは、損なうのは簡単であるが、それを維持していく
ことは非常に難しい。100年前の平均寿命が50歳代であったと
いうのは合点がいく。
レントゲン技師から発泡薬剤と少量の水を促され一気飲み。
胃をガスで膨らませたところに、200ccほどの真っ白なバリウム
を手渡される。
「あまり美味しくはないですが一気に飲んでください。ゲップを
したらだめですよ。唾液を飲み込んで我慢してくださいね。」
と忠告を受ける。
レントゲン台はぐるぐる回転して、自分自身もぐるぐる台の上で
転がって胃の中の消化吸収されないバリウムを胃壁に塗りたくる。
アタマを下にした状態で何度か
「はい!息を止めて〜」とマイクからの声。
さすがに気持ち悪くなってきて、何度か嘔吐しそうになったのだが
必死にこらえて2分間。
しかし、地獄はそれから後に襲ってくる。
レントゲン技師「便秘気味ですか?」
私「いえ」
レ「まぁ、い1錠でいいと思いますが一応下剤を2錠出しておきます」
私「はぁ」
レ「水をたっぷり飲んで、これを飲んでください。バリウムが残ら
ないように…」
私「どれくらいで効くんです?」
レ「ま、2時間ほどから遅くて8時間ですか」
ということで、2錠とも500mlの水と一緒に飲み下した。
効果覿面。2時間どころか、30程で第一陣に見舞われた。
それからというもの、30分〜1時間おきにトイレの便座に座ることになる。
便座に座る合間に仕事してるような感じである。
「そういえば、去年も一昨年も一昨々年もこんなんだったなぁ」と思いつつ、
これはこれで身体の中が綺麗に掃除されるような、勝手な思い込みだが、
体内の毒素を排出するデトックス感を味わえる。
胃腸の掃除だと思えば一日苦しむくらいどうって事はない。
どうせ来年も2錠飲むんだから。
下北沢にて
エグゼクティブ・プロデューサーにヴィム・ヴェンダースを迎えた
中嶋莞爾監督作品「クローンは故郷をめざす(The Clone Returns
to the Homeland)」のレイトショーを観てきた。
主人公に及川光博(一人三役)、共演に石田えり、永作博美、嶋田久作と
役者を揃え、奥の深い映像と重厚なテーマをじっくりと見せている。
舞台となるのは近未来、といっても10年15年後といったあたりか。
ハリウッドものによくあるカーチェイスやガンアクションなどは当然
ない。その手のものしか観ていない人には退屈極まりない、眠気を誘う
だけの映画化もしれない。
しかし一場面・ワンカットに、しっかりとした空気感をそのフィルムの
中に焼き付けた作りになっており、きちんと考えながら映画の中に入っ
ていける。役者の演技がしっかりしていないとこういった長回しを多用
する映画はなかなか創れない。観る側に考えることを強いる映画を私は
好む傾向が強いので苦にはならないが、これでもか!と過剰なサービス
に慣れきっているクチには抵抗があるだろう。
人が何らかの不慮の死を迎えたとき、その人物が重要な存在であればあ
るほど、社会に与える損失は大きくなる。そのリスクを回避するために
医療技術としてのクローンを、あるアストロノーツに施すのであるが、
肉体的情報や記憶情報を完璧に再生しても本当に人は人として、元の
オリジナルと同じ人物なのか?また、人を人たらしめるものは、単に
複製できる物理的情報と記憶情報だけではないのではないか?という、
問いかけが映像によって成されている。
決して難しい映画ではなく、美しく丁寧に創られたロードムービー的
叙事詩。おそらく、「功殻機動隊」が大好きな方には非常に分かり易い
作品だと思う。
よく、人間は記憶の集積によって創られているといわれるが、果たして
そうなのだろうか。
この映画の中で語られる「幽的なもの」や「功殻機動隊」で語られる
「GHOST」という概念は世俗的なオカルトとは全く違う。
アミノ酸やタンパク質にちょっとした電気的処理を施術しても、本当の
「命」は蘇らない。考え、行動し、創り出す。そして、感情を持つとい
うことは一体全体何がそうさせるのか。その存在は何であるのか。
及川光博演じる「耕平」という役の左手甲には、幼少の頃に付けた傷跡
がある。そして、その傷跡がラストシーンでこの作品のテーゼを導き出
しているのだろう。
下北沢にて