クローンは故郷をめざす

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エグゼクティブ・プロデューサーにヴィム・ヴェンダースを迎えた

中嶋莞爾監督作品「クローンは故郷をめざす(The Clone Returns 

to the Homeland)」のレイトショーを観てきた。

主人公に及川光博(一人三役)、共演に石田えり、永作博美、嶋田久作と

役者を揃え、奥の深い映像と重厚なテーマをじっくりと見せている。

舞台となるのは近未来、といっても10年15年後といったあたりか。

ハリウッドものによくあるカーチェイスやガンアクションなどは当然

ない。その手のものしか観ていない人には退屈極まりない、眠気を誘う

だけの映画化もしれない。

しかし一場面・ワンカットに、しっかりとした空気感をそのフィルムの

中に焼き付けた作りになっており、きちんと考えながら映画の中に入っ

ていける。役者の演技がしっかりしていないとこういった長回しを多用

する映画はなかなか創れない。観る側に考えることを強いる映画を私は

好む傾向が強いので苦にはならないが、これでもか!と過剰なサービス

に慣れきっているクチには抵抗があるだろう。


人が何らかの不慮の死を迎えたとき、その人物が重要な存在であればあ

るほど、社会に与える損失は大きくなる。そのリスクを回避するために

医療技術としてのクローンを、あるアストロノーツに施すのであるが、

肉体的情報や記憶情報を完璧に再生しても本当に人は人として、元の

オリジナルと同じ人物なのか?また、人を人たらしめるものは、単に

複製できる物理的情報と記憶情報だけではないのではないか?という、

問いかけが映像によって成されている。

決して難しい映画ではなく、美しく丁寧に創られたロードムービー的

叙事詩。おそらく、「功殻機動隊」が大好きな方には非常に分かり易い

作品だと思う。


よく、人間は記憶の集積によって創られているといわれるが、果たして

そうなのだろうか。

この映画の中で語られる「幽的なもの」や「功殻機動隊」で語られる

「GHOST」という概念は世俗的なオカルトとは全く違う。

アミノ酸やタンパク質にちょっとした電気的処理を施術しても、本当の

「命」は蘇らない。考え、行動し、創り出す。そして、感情を持つとい

うことは一体全体何がそうさせるのか。その存在は何であるのか。


及川光博演じる「耕平」という役の左手甲には、幼少の頃に付けた傷跡

がある。そして、その傷跡がラストシーンでこの作品のテーゼを導き出

しているのだろう。


下北沢にて

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このページは、press_4dmode1が2010年2月14日 20:49に書いたブログ記事です。

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