ワールドカップ

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本日は不定期の平日休み。

有給というモノがあって、それを消化しないと人事部から文句がでる。

休まないと文句言われるんであれば、休んでやろう。

でも、仕事は待ってくれないのでデザイナーさん達から上がってくる

デザインのチェックを自宅のMacでしていたりする。


かと思えば、スタッフのITちゃんからメールが入って、4-Dのオッちゃん等

のんびりし過ぎと、叱咤激励のメールに、

「ハイ、作用で御座いますね。そのことは重々承知致しております。

言い訳のタネは尽きました。ちと巻き入れますか。それともヤキ入れますか」

などと、ふざけた返信をしようとしていたら、神戸の友人から電話が入る。


「今度久しぶりにイベントをやるんで来ない?」

「えっ何時演るの?」

「7月3日」

「うわ〜、ちょっと戻れんなー」

その、友人のご子息が大学を無断で辞めたそうで、タバコをベランダで

吸いながら、まるで昔の自分のことのように感じた。


サッカーのルールは簡単である。道具も野球のように多様なモノは一切無い。

蹴り上げるボール1個あれば何処でだって出来てしまう。だから、貧困層から

這い上がって巨万の富を得る唯一のスポーツだ。


今行われているワールドカップは、国家・地域に分かれてチームが編成される。

つまり、プロスポーツの中では、寄せ集めのチームとなり、クラブチームほどの

洗練のされ方が出来ないのは必然となる。日本代表より鹿島アントラーズの

ほうが確実に強い。


しかし、国家を背負って戦うというのは、古来より現在においてもその価値観は

変わらず、男としては純粋に、単純にナショナリズムの湯船にどっぷりと首まで

浸かることが出来る。


世界中の人類の、現状に対する欲求不満を一身に受け、監督や選手達はその

フラストレーションの塊とともに相手国と戦う。

それをピッチに立つ選手達は光栄と受け止め、課せられた責任を全うしようと

する。


自分のルーツや帰巣本能といった生物としての本能や、属性を求める根元的な

欲求がある限り、代理戦争とまで呼ばれるこのスポーツの祭典は、その価値を

失うことは決してないだろう。


折しも私の睡眠不足はこれに拠るところが大きい。

流石に体力が持たないので観るのは少し控えなければならない。


下北沢にて

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このページは、press_4dmode1が2010年6月23日 18:12に書いたブログ記事です。

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