さくら
今週の半ばから出張で神戸に戻っていた。
神戸空港から三宮に出て、そのままJRで大阪に向かったのだが、
良い天気であったため、六甲山の山間が春らしく緑の色彩を強めている。
その合間合間に、自生している満開の山桜があちらこちらに薄桃色の
花を対比するかのように咲き誇っていた。
こういった景色を見ると「あぁ、神戸の春だな」と感慨深く思う。
数十年に亘って見慣れている景色なのだが、東京へ来てからというもの、
暫く忘れていた風景である。
若いときには気にもとめなかった一場面なのだが、年齢を経るとこれまでと
は違った感性が目覚めるのか、ありきたりだったものがやたらと新鮮に
映ったりするものだ。
今年の桜は2週間にわたって満開が続いた。珍しいことである。
明日の月曜からは殆ど散ってしまうだろうが、花を愛でる趣味のある方には、
またとない年となったのではないか。
桜といえば「花見」であるが、満開に咲き誇る桜の下で、賑やかに酒を
酌み交わすのは日本人独自の文化らしい。
私はもう随分と永いこと「花見」をしていないが、公共マナーの善し悪しは
別にして、面白い習性だと思う。
おそらく平安貴族の趣味が、市井に下りて文化として定着したのであろうが、
こういった脳天気さは嫌いではない。「たちあがれ日本」などとほざく、
完全に的を外していることを認識できないでいる老人達の脳天気さには辟易と
するが。一体誰のおかげで立ち上がれなくなっているのか厚顔無恥も甚だしい
というものだ。
以前読んだ書物の中に、「桜の木の下には屍が眠っている」ということが
書いてあった。桜はその血を吸ってほんのりと薄桃色に染まるのだ。
まぁ伝奇文ではあるが、なにかもの悲しく、また、風流な言い回しだと思う。
下北沢にて