ENEMY

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[「共通項としての敵」という概念を持たない国は、個人の精神構造に多大な

負荷をかける。]


と昨日書いたが、人類の本能として仮想敵を作ることは、集団を維持していく

ことにとって非常に重要なファクターとなっている。

近隣諸国を見てみても判るとおり、中国・韓国・北朝鮮・アジア諸国などは

顕著にその傾向が露骨に出ている。もちろんその対象となっているのはこの

「日本」であるわけだが、先般行われたトヨタの吊し上げなども、アメリカの

敵対意識が如実に、しかも赤裸々に出ていて面白い。一企業の出来事ではな

く、これは日本という国に対する嫉妬と妬みを内包した、アメリカ国民向けの

大仰な演出である。そういった観点から見てみると、日本の政治というのは戦

略がなく、バカでも簡単に出来る仕事なのだとよくわかる。

マーケティングを囓ったものなら判るのであるが、マーケティングにおいて

重要なのは情報の分析ではなく、その先にある皮算用をはじく事であり、それ

には大きなリスクを伴うことから、そのリスクを軽減し成功するための確率を

上げるためにマーケティングという考え方が存在する。

いわば、リスク・マネージメントと呼ばれるモノに他ならない。

話は戻るが、ヨーロッパでも対ロシアを標榜する国は多く、トルコVSギリ

シャ、イギリスVSフランス、中東ではもっと複雑に産油国として欧米拠りの

政策を摂る国々と自立主権を望んでいる各民族の中で、数百年にわたって啀み

合っているのは、半ば常識である。

そのような緊張感が国という概念や政治というものの本質であり、そこに経済

が絡んでくると更にややこしく、複雑怪奇な、縺れた麻縄のような状態になっ

てお互いを支えてしまう。それが私達が感じることの出来る「世界」という概

念ではないかと考える。


何処の国や地域の出身であろうと、個人として相対した時は、個の特有な

部分を見ればお互いに分かり合えるのが人間であり、それが血や民族、宗教、

歴史などを核とした集団になると個は見えず攻撃的になるばかりである。

私達は2000年前のアリストテレスやアルキメデスの時代から、何ら成長は

していないのであって、2000年前の哲学やら思想やらを超える概念は誰も

持ちあわせていないように思う。寂しい話である。テクノロジーだけは進歩

しているのにね。


ケーブルTVの音楽番組を見ていると、この時期やたらと「卒業」だ「逢いた

い」だの「いつまでも待ってる」などと歯が浮くようなことをほざく歌が

百花繚乱している。

方や別に耳を向けると、「元気を出せ」「俺が側にいる」「お前だけだ」など

と説教クサイ能書きをぬかす連中が徒党を組んでパラパラ紛いの下手なタコ踊り

を踊っていたりする。

いくら商売のためとはいえ、そういった事を垂れ流せるこの国は、ぬるく、柔

らかく、曖昧な霧の中に漂っているのではないか、と、ふと思う。


強く清廉で、思慮深く潔い、そして弾力があり個として屹立した人間に私は

なりたいと、今でも思っている。いや、私などよりも若い人達には少しでも

そうあって欲しいと切望する。そうすれば、不用意に「敵」など作る必要も

ないのだから。


下北沢にて

このブログ記事について

このページは、press_4dmode1が2010年3月10日 22:00に書いたブログ記事です。

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