Apocalypse Now

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十年振りにフランシス・フォード・コッポラの「地獄の黙示録」を観た。

新世紀が始まった年に監督自身の再編集版である特別完全版を観て以来で

ある。

79年にリアルタイムで映画館上映されたおり、今ひとつ意味が判らなかった。

何故その時に観に行ったかというと、まだ十代だった私は、パンクやニュー

ウェーヴとは別に、その時入れ込んでいたドアーズ(Doors)というバンドの曲

「The End」が主題曲で使われていると言うことを知り、また、ドアーズの

ヴォーカリストであるジム・モリスンが大学の映画部でコッポラ監督と同期で

あったと知っていたため、ソソられて観に行ったのである。

アメリカが敗残したベトナム戦争が舞台であり、その後のアメリカ・ハリ

ウッド制作のベトナム総括映画のベンチマークとなった非常に重要な位置

付けの作品である。ケーブルテレビでほぼ同時期にかかった「プラトーン」

や、「ハンバーガー・ヒル」、「ディア・ハンター」等、ベトナム戦争を

総括する名作は多いが、改めて観てみると、その映画としての質(クオリティ)

に脱帽せざるを得ない。

現代の映画でCGに依存する作品が多い中、当時一切そういったギミック無し

に制作されたこの映画の凄まじさは、筆舌に尽くしがたいインパクトを持つ。

当たり前である。

映画が娯楽ではなく、本気で偏執狂的芸術の極致をダイナミックに追求した

のであるから、当然といえば当然か。

マーティン・シーン演じるウィラード大尉の回想録的ストーリーであるが、

彼が対峙するカーツ大佐(マーロン・ブランド)のレーゾン・デートルこそが

この映画のテーマであり核である。

30年前に劇場で観た時よりも、10年前に特別完全版を観て感動した時よりも、

今回観た事によって、ようやくコッポラ監督が何を伝え観せようとしていたの

かが理解できた。

観ていない方がいるなら、巷で話題の「アバター」より、こちらをお薦めする。


人は極限に追い込まれたとき、その現実から逃れるために狂うか、或いは受け

入れる事によって一種の信仰(宗教という意味ではない)に傾く。

何を隠そう私も社会の中でそういった経験を持つ一人である。

概ね、正常でいられる事はない。

まぁ、そもそも正常であるという概念そのものが、何を基準にしているのか

甚だ怪しいモノであるのだが…。


今、私達の世の中では、メンタルな部分でダメージを受けている人達が大勢

いる。学校でも職場でも日常でも家庭でも。戦争という概念がこの国の中で

既に認知の外にあるという事実のみが、平和であるということとイコールで

あるということではないのだから。

「共通項としての敵」という概念を持たない国は、個人の精神構造に多大な

負荷をかける。オッと、こんな事を書くと長くなりそうなので次回に回そう。


現代版「地獄の黙示録」とも言うべき映画「ハートロッカー」がアカデミー賞

を獲った。先述した「アバター」と何かと比較されていたが、私は映画にCG

を求めているわけでもないし3D映像を求めているワケでもないので「ハート

ロッカー」は是非見に行きたい作品である。


下北沢にて

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このページは、press_4dmode1が2010年3月 9日 21:37に書いたブログ記事です。

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