Dr.パルナサスの鏡
ヒース・レジャーの遺作である。
監督は言わずとしれたテリー・ギリアム。
強者である。
テリー・ギリアムといえば「未来世紀ブラジル」「バロン」「12モンキーズ」
「ラスベガスをやっつけろ」等の作品が著名な、一風変わった作風の映像を撮る。
「一風変わった作風の映像」というのは凝りに凝った映像ということでもあり、
アメリカ人とは思えない、ヨーロッパ的陰鬱の世界観を見事に再現するという
意味において一風変わっているのだ。
私は85年に公開された「未来世紀ブラジル」でやられたクチであるが、何せ寡作
な映画監督であり、また、運に見放された人物でもある。
メインキャストであったヒース・レジャーが、撮影半ばにして他界したことも、
この監督らしい運命を感じるのは私だけではないだろう。
ということで、制作が頓挫しかけたところへヒースの友人や彼をリスペクトして
いる俳優達(ジョニー・デップ、コリン・ファレル、ジュード・ロウ)が上手く作
品をフォローして、映画としては一級品のファンタジーに仕上がった。
面白く不思議で、また、クスッと笑えて、ほんのり泣ける、良い作品だ。
そして何よりもキャラクターがけれん味たっぷりで美術と映像が美しい。
以前ブラザーズ・クエイ「ピアノチューナー・オブ・アースクエイク」の事を書
いたとき、テリー・ギリアムが作品のプロデューサーをしていたことを書いたが、
やはり何処か通じ合う美学を存分に感じさせる。
「クローンは故郷をめざす(The Clone Returns to the Homeland)」で描かれた
のは「命のコピーを造る事による生命の引き継ぎ=永遠の命」とはなんぞや?と
いうことであったが、「Dr.パルナサスの鏡」で語られていることは、永久の命を
与えられたDr.パルナサスは一人の女性を愛し、その女性にうり二つの自分の娘を
溺愛し、その娘の幸福だけを願っているという図式なのだが、どこか通底している
流れが見えるような気がしている。
Dr.パルナサスは一種のパラノイア(偏執狂)であるが、男性の殆どがそういった習性
を生まれながらにして持ちあわせている。
それを内包したまま飼い慣らすことが出来ると大人として社会的に成り立つが、
調教できないまま成長すると皆さんもご存じのイタイ人達になってしまう。
そういった、男性から観ると鬱になってしまうパラノイアを笑い飛ばす役割、
つまり道化師の役回りがヒースの役所でありヘルプアクターたちの役回りだ。
道化師は地位と名誉と金を好む。
これ以上書くと、観ていない人に悪いのでこの辺にするが、タイムリーに
以上の2本を観ることが出来たのは僥倖というほかない。
下北沢にて