決められた方向からの視点
私達が知っている歴史(お勉強とか、それぞれの国が公的に
認めているという歴史ね)っていうのは、当然の事ながら、
一方向からそれを作ったものにとって都合の良いものに
なっている。ということは周知の事実であって、一階層で
しか歴史は語られないし、それ以外の経過が認められること
は有り得ない。
つまり、多方向からフェアに見られ、多層的で誰もが納得
している歴史というものは基本的に存在することが許され
ない。
それはヨーロッパでも、アメリカでも、パレスチナでも、
大陸でも、日本であっても同じように一方向からしか見る
ことを許されてはいない。
要は視点が定められていて、イデオロギーや宗教、はたまた
経済状況、国策・国益に寄って歴史は作られる。
決して淡々と真実や事実を積み重ねただけのものではない。
そのような歴史的な側面の読み方を身につけると、バラク・
オバマのアメリカンドリームというのは実に良くできた寓話
であり、単純な精神構造を持たされた人達や、虐げられてき
た民族にとっては、途方もない神話になる。
別の言い方をすればジョージ・ブッシュの残した「負の遺産」
を他国に押しつけ、無かったことにするための最後の切り札、
映画のヒーローにならなければならない。その物語をどう演出
していくのか、大いに興味をそそられる。
不況という生活者にとって残酷な脚本は、私達の頭脳を否が応
でもフル回転させ、知恵を振り絞る事を要求する。
ある意味マゾヒスティックな最大限の負荷がかかってくるので
あるが、それはそれで、おそらく「楽しい」事なのである。
一番つまらないのは「金さえありゃ何だって出来るし手に入る」
事であって、そこには「知恵」は必要ない。
「知恵」のない世界には興味そそられないもんね。
下北沢にて