それでも桜は開く

|

                   

桜2011-2*.jpg

  











所用があり、先週から1週間ほど神戸へ帰っていた。

有り難いことに気温が暖かくなってコート要らずで過ごせたのは僥倖

であった。

新入学の子供達や学生、社会人1年生など、まだ、板に付いていない

制服やスーツに身を包んだ若者を見ると何か明るい兆しを感じずには

いられない。


しかし、その間も東北を中心に関東も地震で揺れ続けていた。

昨日新幹線で東京へ戻ると、何か明るさが足りない。節電で、消灯し

ている照明や電飾が、そう感じさせているのは一目瞭然である。


今、消えている照明や電飾は本当に必要なのだろうか?と思えてくる。

夜を迎え入れないために輝かせ、過剰に明るく、過激に光らせる。

本当に必要なのだろうか?という疑問がこの数週間、頭をもたげては

答えが出ないまま消えていく。


東京も他国や他地域同様の明るさになっただけではないのかと思う。

なんでもかんでも、どこもかしこも、ひたすら昼間のように明るくすれ

ば良いというモノでもないだろう。

暗いところにはそれなりに危険も伴うが、当の本人が注意を怠らずに、

神経を研ぎ澄ましていれば、そういったリスクを回避する能力というか

感も冴えてくるはずだ。


今更、「レベル7です。」などとどの面下げて言ってんだという話で

あるが、多くの犠牲が物語る現実と、多くの犠牲を払う将来への目処が

立たなくとも、それでもヒトはメシを食い、眠り、話を紡いでいくこと

を止めるわけにはいかない。

戦いを止めると言うことは、ヒトで無くなるということと同義であろう。


失うものもあれば、生まれてくるものもある。

生きてる間にすべき事を、やるべき事を、片っ端から為し遂げるのが

信条の私としては、満開の桜の下で、今しなければならないことが有る

ことに感謝をし、それぞれの役割の中で、そうした多くの仲間が普通に

歯を食いしばっているところを他者に見せることなく、黙々とすべき事を

為すという、ストイックなまでのその美しさに感動を覚えたりする。

そして、来年の春にも今と同じように桜は満開に咲き誇るのだ。


下北沢にて


このブログ記事について

このページは、press_4dmode1が2011年4月13日 22:17に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「木曜日、Shampooの折茂氏と」です。

次のブログ記事は「BLIZZARD DRIVE」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

Powered by Movable Type 4.01