FOLD
夏から暫く忙しくて文章を書く事が面倒で仕方がなかった。
気がつくと既に秋になり、そういえばエアコンも使っていない。
元来こうやって何か文面をしたためるという作業は、エネルギーが
要るし自分に合っていないとつくづく感じているのであるが、
時たま発作を起こしたように書き留めておかないと気が済まなく
なったりする。ブログという作業にあまり思い入れがないから出来るワケで、
ミ●シィやそれに類するチャットでのやりとりなど、私にとってはかなりの
苦痛を伴うのは、しなくても解っている。
そう、インタラクティヴは疲れる(笑)。
しかし、仕事となると別で、理路整然とした企画書などを仕上げるために
文章を捻り出さねばならない。長年の間に染みついた習慣なのかもしれないが、
喰っていくためのビジネスとなると話は変わってくる。
一日平均15通のメールと、30通話の電話と、10回以上Faxのやりとりを
しなければならない。「じっくり考える」というより「すぐに判断する」
という事がどうしても求められる。
疲れるわけだ。
2週間ほど前に高校の頃の友人からメールが入った。
内容は同級生の訃報を知らせるものであった。しかし私は名前も顔も覚えて
おらず、その頃の卒業アルバムも何処へ行ったか定かではない。
ひょっとしたら捨ててしまったかもしれない。
何時の頃からか、過ぎてしまった過去にはあまり執着しないようになった。
レコードやステレオ、書籍など殆ど売却或いは廃棄しているし、本などは
読んだ端から下取りに出している。衣類も自分にとって必要なアイテム数
さえあれば問題ないので、極端に増えたりしないし、家具や調度品、食器、
等も少なければ少ないほど気が楽で良いし生活スペースが豊かになったように
感じる。
春にtrayで開催した作品展で、展示した大昔の4-Dで作った作品なども、全て
それを持つにふさわしい方に引き取って頂いた。もう私にとっては必要のない
ものなのだと判断したからである。
先週土曜の深夜に馴染みにしているBarに少しだけ立ち寄った。
マスターが私の注文を取ってから沈痛の面持ちで語った。
「●●さん昨日の7時に亡くなられたそうですよ」
亡くなられた方はマスターと同業で私も幾度となく面識があり、多岐に渡る
知識と会話の妙が素晴らしい、人当たりのよい人物であった。
そこまで病状が切迫していたとは思いも依らなかった。
たまたま客が退けた後で私しかいなかったからマスターは云ったのだが、
身近に善くしてくれた人物がスッと消えるように他界するというのは、
それはそれで心の中に何か澱のようなものを残し、自分自身の中に
何かを重ねる作業を伴う。
もし、このことが家族の立場であれば尚更だと考える。
夏場にボランティアで、神戸にある中学校の地域組織のためにロゴマークや
グッズのデザインを興した。好き好んで引き受けたワケではないのだが、
名指しで指名されたのと地元に少しでも貢献出来ればということで、
自分を説き伏せ引き受けた。
しかし、手を抜くどころかそれなりの企画書まで作り3案も提出したところ、
2案を並行して使用する?ということになったようで、既にグッズ(ブルゾン・
ポロシャツ・キャップ・スポーツタオル)に展開しているようだ。
因果な性格だなぁと…つくづく感じ入る。
下北沢にて