マイケル
先週の金曜日から、市井の話題はMJで持ちきりである。
あまりにあっけなく、そしてどこか納得もしてしまう彼の死は、
全世界数億人の規模でその死を悼む現象となっている。
TVメディアなど、まるでだぼハゼのように喰らいついて離さない。
多くのメディアが、生前彼の人生を食い物にしたにもかかわらず、だ。
残酷な話だと思う。
彼のミュージックエンターティメント業界に残した業績と影響力は、
とてつもなく大きく、また、究極のリスペクトと最高の賛辞で
締めくくられるにふさわしい。
ミュージックビデオ(PVってやつね)の質がまだまだ低かった
70年代から80年代前半、ジョン・ランディス監督に撮らせた「スリラー」の
映像はずば抜けて面白く、また、革命でもあった。
あれを見てつまらないと思った人間はいないのではないか?
もし、いるとするならおそらくその人の感性が異常に低いセイだろうと
考える。なぜなら、エンターティメントとして必要な条件を見事なまで
完璧に作り上げたミュージックビデオ(PVではない)は、「スリラー」
意外に思い付かない。それほどクリエイティブだったということに他ならない。
何度見ても飽きないもんね。
私は、もろブラックミュージック(ソウルとかね)というのは苦手だが、洗練
されたダンスミュージックやブラックミュージックに傾倒する歪なファンクが
好みで、ギャング・オブ・フォーを未だに愛聴しているのも、このことに
起因する。
アーティスト、いや、クリエイターとしての”死”が、これほどの狂騒を
招いた例は私の知る限り3度目だ。
1回目は「エルビス・プレスリー」。2回目が「ジョン・レノン」。
ITなど影も形も無かった時代に逝ったこの二人の死も、全世界的に人々を
悲しませた。
この三人以外にも著名なクリエイターの急逝は数限りなくあるが、好き嫌い
は別にして、単なるセックスシンボルではなく、これほど文化ムーヴメントに
多大な影響を残した人物となると他には見当たらないように思う。
エルビス・プレスリーは黒人音楽から生まれたリズム&ブルース(R&Bと
かって出鱈目ほざいてる歌謡歌手のうたじゃないよ)に憧れ、ビートと
パッションを持ち込み古い体制から嫌われた。ジョン・レノンもリズム&
ブルースに反体制のメッセージを堂々と持ち込み、政治体制から嫌われた。
そしてマイケル・ジャクソンは生まれながらにしてリズム&ブルースを体現
できた天才であったが、肌の色、つまり人種差別の体制に嫌われた。
彼等のような傑出した才能を持ちあわせた天才は、図らずも創り上げた
自身の作品でしか、その想いを伝えることができない。
それは宿命といっても差し支えがないほど、厳しく自己に降りていく悲しい
作業を伴うのだろう。だから、平凡な人間にとっては奇異に映る言動が、
そのことに対してのバッシングを招き、他者への不信に繋がっていく。
そういった連鎖こそ天才の天才たる所以であろう。そういった人物達と
同時代を生きることができた事は誇りに思っていいのではないか、と考える。
下北沢にて