女は強い
いつも4-Dのことでお世話になっているプロデューサーH氏から
「鈴木祥子 20th Anniversary Live」にご招待頂いた。
日頃私が耳にするものと対極にある音楽なのと、突然のことであったの
でどうしたものか迷った揚げ句、お邪魔させていただくことにした。
天候は生憎の雨にもかかわらず、CCレモンホール前には傘の花が咲き
長蛇の列。関係者の入場口から会場内へ入り着座すると、これもまた
顔見知りの音楽ライターK氏が右斜め後にいた。周りを見ると何処かで
見かけたような?顔もチラホラ。ムーンライダースの方とか、上野洋子氏
とか…。音楽関係の方がやはり多い。
ピアノ、エレピでの弾き語りとギターを伴奏に歌うアコースティックな
前半とバンドを交えた後半が大きな展開。ところどころお喋りも挟み
ながら大人の音づくり。バンドのベーシストは元ルースターズの井上氏
(そういえば昔神戸のチキンジョージで間近に見たなぁ)だった。
ステージが始まるとしっかりと聴き入ったのであるが、歌詞が身体に入って
くると言うか、染み込んでくる感じ。特に弾き語りやギター伴奏の音数が
少ない曲は、否応なく言葉が身体の中に浸食してくる。
実はこういった曲に私は案外弱く、だからこそ遠ざけることこそすれ積極的
に聞き入ることはなかった。
男なんだから、男のくせに、男だったら…という世界が私の幼少時には充ち
満ちていたので、女々しく泣きがはいるものは音楽に限らず映画や舞台でも
遠ざける習性が何時しか体質となった。
何時も世の中斜めに見ているような態度を取る私ではあるが、実は情けない
ほど脆い自分が底流にあることを知っているのであって、故に鬱的状況に陥
らないために、泣くことを徹底して拒否するのであろうと自己分析する。
以前ここで書いたD-Dayの「Heavenly Blue」に入っている「虚っぽの世界」と
monogrammeの「return」に入っている「Think」なども、実は私にとっては
鬼門であり、つい心というか精神が緩んでしまうのである。情景の見える音
や詩の世界は故に恐ろしい。だからこそ個人的な価値があるのだろう。
昨年の7月初旬「Heavenly Blue」のデザインを創っていた。
「虚っぽの世界」の音源を聴いていたとき、不意に自分の感情と関係なく、
ワケもなく涙が溢れたりした。
今こういうことをカミングアウトするとなんかやはり情けない限りである。
で、女性であるが、やはり人として生き物として強靱な強さを感じますね。
男の場合、強さ=悲壮感という図式をよく見かけますが、女性はそこに居る
だけで強い。強いっていっても筋力的なことではなく精神性ね。挫けても
立ち上がってくる自然な強さというか…。
鈴木祥子氏の歌にもそれと似たものを感じさせられた。
オーディエンスはそういった強さを受け取りに来たのかな?
下北沢にて