press_4dmode1: 2011年2月アーカイブ

ドイツでエレメンツ

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ドイツでの4-D Elements(小西+横川)は、盛り上がって

無事終了したようだ。

詳細は帰国後のお二人に尋ねるしかないが、4-D mode1の

作品のために、フィールドレコーディングにも勤しんでいる

ようで、良い傾向であることに代わりはない。


次のデンシコン2では、まだ誰も聴いていない新曲がその時

のためだけに奏でられるのであろう。

ほんとに贅沢な話である。

記録に残らない楽曲のナンと多いことか!

見逃したら、聞き逃したら、それでお終い。

4-D mode1はそういうバンドなのである。

4-D mode1はそれでいいのである。

常に曲作りしてないと3人とも死んじゃうのである。


成田氏がプロデュースしたBORISの無料視聴のページが出来たようだ。

これまた、カッコよろしい!

http://www.qetic.jp/?p=59441


アルバム欲しいな。


下北沢にて


八百長

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鬼の首を取ったかのように質の低いマスコミが騒いでいるが、

自分達への視線をそらすために、失政しかできない民主党からの依頼でも

あったかのようなタイミングでリークがされた。


リークされると言っても、マスコミも一般市民も「国技」と呼ばれる

百貫デブが褌(正しくは「まわし」ね)一丁でぶつかり合う格闘神事を、

スポーツの範疇で見ていることがあったのか?と思う。


これはスポーツではない、少なくとも「興業」の世界である。

「そのスジ」の人達とも大昔から癒着していただろうし、持ちつ持たれつ

であったであろう事は想像に難くない。


ましてや、大関クラスのぶちかまし(タックルね)の衝撃は、2屯を超えるの

である。軽四乗用車が時速30kmで正面衝突したらどうなるか?普通に理解

できるよね。2屯と2屯の衝撃が正面からマジでぶつかったらどうなるか?

洒落にならんよ。

確実に脳挫傷か、首が吹っ飛ぶか、脊髄損傷。

つまり、「死ぬ」ってことだ。


マスコミに取り沙汰されている論調がどうもおかしい。というか異常ですら

あるように感じる。


彼等が肉体を強靱なものにするには理由がある。

一番大きな理由は、「ケガを防ぐ」ために鍛え上げるのである。

飽くまで「興業」であるからして、そこには筋書きもあればドラマも在るわけ

で、脚本家がいておかしい謂われはないはずである。


もしそれを許さない価値観が本当にあるとしたら、この20年間何もせずに

浪費し惰眠を貪っているだけの、政に関わる輩を指さすべきであり、中東や

その周辺国の人達の人間として輝きをもっと上手に伝えるのがマスコミの

本文ではないのか?と痛切に思う。

要は「気持ち悪い」のである。


下北沢にて

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昨晩、動画関連の撮影打ち合わせを終え、飯田橋のスタジオを出た途端、

雨から雪交じりの天候に変わったところだった。

同じ方向に居住するスタッフを伴って、新宿まで出、小田急線に乗った

ところで、既に雪が降り積もりつつあることを認識した。


東北沢駅を出た瞬間から随分と鈍行になり、

「これは遺憾、東北沢で降りて歩くべきであったか?」と自問自答し始め

た頃、のろのろと下北沢に到着下車。

取り敢えず事なきを得たが、道端にはうっすらと白い雪が重なり始めて

いた。


こういうときに限って、スーツに合わせて履いている革靴が、ハイドロ

プレーニング現象をおこし、スッテンコロリンとひっくり返ったりする

のである。

そんな手には乗らぬよ、と、鼻でせせら笑い、口元を歪めて一歩一歩慎重

に踏みしめながら歩くも、普段なら駅から5分のところがやはり10分は

有にかかる。


その10分の間に幾度となく皮のソールを滑らせてしまい、危うく、恥ず

かしくも痛々しい思いをする直前まで滑った。

幸いにして、日頃の行いが良い私は、スッテンコロリンと恥をかくことも

なく、また、スーツを汚すこともなく自宅にたどり着いたのであるが、降り

積もっていく雪というのは、何故か見ているだけで心が躍る。


一夜明けて一面銀世界。

普段見えているものが白く覆い尽くされる風情は本当に美しい。

街が、イヤ、都市が真っ白にコーティングされている眺めは、感動的で

すらある。

最も、豪雪地帯に居を構えている方にはそうとは言えないであろうが。

神戸であれだけ降り積もることは、ごく希なことであるから、たかが

雪が積もっただけでブログを書いてみたりする。


下北沢にて


オーストラリアを襲ったフェイズ5の超度級サイクロンの被害を最小限

に止めることが出来た大きな要因として、Facebookを利用した情報伝達

が有効に機能したらしい。

成程。妙に納得してしまう。


このところ、ほぼ毎日のようにSNS関連のニュースが取り沙汰

されていて、その多くは旧メディアが予想も出来ない社会への圧倒的

で迅速な影響力についての記事が目立つ。


先日4-DスタッフのIちゃんが下北でイトケンさんのライブを観た帰り、

ライブハウスまで迎えに行ったその後の食事中に、「twitterのおかげで

本当にいろんな人達と簡単に連絡できて繋がれるようになった。突っ込み

も入るで(笑)」と力説された。

「twitterやったらいいのに!」と薦められたが、まぁ、なにぶん根っか

らの面倒くさがり屋なもんで、ちょっと難しい。

もう一つは日頃忙殺されているため、一人になって孤独を守らなければ

精神的に保たないな、という理由がある。半世紀も生きてると、自分では

抱えきれないほどのシガラミを背負っていることに気付く。

今更仕方ないのだが。


ヒトとヒトが繋がる事に因って意味が生じるSNSの世界観は非常に魅力

的だが、個人的にはまだ必要としていないのだと思う。

たぶん、今くらいの情報との距離感が現状はフィットしているのだと感

じる。様々な難問を解決していくのに、全てを正面からぶつかっていては、

流石に保たない。

その進行方向から逸れることも必要だということかな?


下北沢にて

SNS

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ソーシャルネットワーク.jpeg










Facebook創業者「マーク・ザッカーバーグ」を扱った映画

「ソーシャル・ネットワーク」を観た。


映画の日本版ポスターには「天才・裏切者・危ない奴・億万長者」

と大きくコピーがレイアウトされている。


このコピーの中で当たっているのは4つ目の「億万長者」という

事実だけだ。

「天才」と言うにはあまりに俗っぽいリビドーの塊のような人物で

あるし、「裏切者」?って・・・ビジネスに厳しいことを言うの?

的外れやね。

一番ピントが合っていないのが「危ない奴」。

確かに旧体制の旧式な考え方で既得権益を貪っている類の連中に

とっては「危ない奴」に映るのかもしれないが、6億人の人類が、

Facebookに因ってコミュニケーションの恩恵を受けていることが

事実であることを考えれば、このコピーは大きく誤解だけを生む。


映画としては佳作レベルであり特筆すべき事もあまり無いのであるが、

チュニジア・エジプト・ヨルダンなどの中東諸国で、民衆によって

政変が起きている一つの要因としてFacebookやウィキペディア等の

「ソーシャル・ネットワーク」(もちろん映画のことじゃないよ)の

果たした役割は大きいという。


そういった意味で、権力者である「既得権益を貪っている人達」に

とって、愚民であってもらいたい国民が、ネット上で情報のやりとり

を自由に出来る「ソーシャル・ネットワーク」は目の上のタンコブに

他ならない。つまり、「知恵」をつけて「賢く」なってもらっては

困るって事なんだろう。

それが事実だとしたら全くもって舐めた話である。


で、423日(土)高円寺HIGHにて

「デンシコン 2」

が催される。

もちろん、mode1も出演するので期待してほしい。


下北沢にて